語呂合わせ朝鮮起源説と文化共有のちがい
金達寿の本みな「日本は朝鮮人がつくったのに、それが隠蔽されている」という基調になっている。 しかし古代の半島列島大陸が文化的に連続していることと、「朝鮮文化」を起源におくことは、まったく違う話だ。しかもその根拠の主要な部分が現代朝鮮語からの類推であるのはいただけない。また中国系と思われる事跡もすべて朝鮮差別のために隠蔽されているだけで本当は朝鮮だ、と決めつける。古代日本の構成はそんなに単純なものではないだろう。 執筆当時は日本の孤立発展史観を相対化する意義はあったのかもしれないが、いまになって読むと、民族主義高揚の時代的な制約を感じざるを得ない。 皇国史観でも朝鮮宗主国史観でもない、より冷静な同様の研究書が望まれる。
弥生文化伝来の足跡を求め、北部九州の筑前、筑後、豊前、豊後を旅する
金達寿氏が古代朝鮮文化を探索する今回の行脚は、筑前、筑後、豊前、豊後、即ち現在の九州北部の福岡県、大分県である。奴国だとされる福岡市の板付遺跡(現福岡空港)と飯盛遺跡、伊都国だとされる糸島半島、大陸や日本の史書に現れない早良遺跡(さわらと読み、朝鮮語の都の意のソウルが変化)の幻の古代王国はすべて日本で言う任那つまり朝鮮南部の加耶地方から渡来した人々が作ったというより、弥生時代の頃、北部九州と百済と新羅に挟まれた加耶は民族的にほぼ同一、神話や習俗も共通した言わば日本民族の基層を作った集団であった。今回の旅は他の地方とは違い、年代的にかなり早期の縄文人に弥生文化をもたらした加耶の人々の足取りを辿るもの。最も重要なファクターが秦氏一族の伝承である天之日槍の伝説であり、果ては清和源氏の守護神ともなった宇佐神宮を中心とし、日本全国に広がっている八幡信仰である(秦、八幡のはたは朝鮮語で海の意のパダ)。
講談社
日本古代史と朝鮮 (講談社学術文庫 (702))
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